先日、同僚のS主事(旧姓)の結婚式と披露宴に出席させていただいた。お相手の方はKGKの卒業生で、かつて夏期準や全国協議委員も務めたSさん。S主事は結婚されて苗字が変わるので、今後はT主事(名前のイニシャル)と呼ぶことになるでしょう。※以下T主事
T主事はKGK事務局での2年間のアルバイトを経て、今年度から主事として働き出された。そのため、僕にとっては唯一の同期主事。4月は新主事研修も一緒に受けていた間柄である。
忘れもしない4月2日。僕とT主事は2人で神田法人会の新入社員研修に参加した。100名以上の一般の新入社員と混じって、僕たちは社会人マナーを2日間かけて叩き込まれた。この時、昼休みに昼食を食べながら、T主事はまだ婚約前だったSさんとのお付き合いのことを僕に分かち合ってくれた。正直に分かち合ってくれたT主事の言葉や、その時の豊かな交わりは、今でもはっきりと覚えている。
そんなT主事がやがてSさんと婚約されたことを聞いたときには、本当に嬉しかった。そしてこの度ついにお二人は結婚にまで導かれた。主の前で誓約するお二人を見ていると、感慨深い思いになった。
この日、僕はカメラを手に撮るのを一切止めた。電源を入れることもなかった。ただひたすら、この目に焼き付けることに務めた。そしてそれは、決して間違いではなかった。
*************
披露宴で、僕はBGMとしてピアノを演奏するという役目を頂いていた。新郎新婦入退場のBGMや、食事歓談中のバックミュージック、そして全員賛美の奏楽など、出番は盛りだくさんだった。しかし、これほどやりがいのある演奏は他に想像できない。僕は未だかつて、これほど幸せな演奏をしたことはない。
結婚されたお二人の幸せそうな笑顔、そしてお祝いに集まる方々の嬉しそうな笑顔、その喜びが披露宴会場をいっぱいに満たすその隅で、僕はいつまでもピアノを弾いていたいと思った。いつまでも、いつまでも…
T主事はKGK事務局での2年間のアルバイトを経て、今年度から主事として働き出された。そのため、僕にとっては唯一の同期主事。4月は新主事研修も一緒に受けていた間柄である。
忘れもしない4月2日。僕とT主事は2人で神田法人会の新入社員研修に参加した。100名以上の一般の新入社員と混じって、僕たちは社会人マナーを2日間かけて叩き込まれた。この時、昼休みに昼食を食べながら、T主事はまだ婚約前だったSさんとのお付き合いのことを僕に分かち合ってくれた。正直に分かち合ってくれたT主事の言葉や、その時の豊かな交わりは、今でもはっきりと覚えている。
そんなT主事がやがてSさんと婚約されたことを聞いたときには、本当に嬉しかった。そしてこの度ついにお二人は結婚にまで導かれた。主の前で誓約するお二人を見ていると、感慨深い思いになった。
この日、僕はカメラを手に撮るのを一切止めた。電源を入れることもなかった。ただひたすら、この目に焼き付けることに務めた。そしてそれは、決して間違いではなかった。
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披露宴で、僕はBGMとしてピアノを演奏するという役目を頂いていた。新郎新婦入退場のBGMや、食事歓談中のバックミュージック、そして全員賛美の奏楽など、出番は盛りだくさんだった。しかし、これほどやりがいのある演奏は他に想像できない。僕は未だかつて、これほど幸せな演奏をしたことはない。
結婚されたお二人の幸せそうな笑顔、そしてお祝いに集まる方々の嬉しそうな笑顔、その喜びが披露宴会場をいっぱいに満たすその隅で、僕はいつまでもピアノを弾いていたいと思った。いつまでも、いつまでも…
D大学祈祷会。授業と授業の間、お昼休みの中の30分間。この学生生活のど真ん中に祈祷会があることは、学内伝道の生々しさだと思う。この日もこの30分のために学生が5人集まっていた。
僕は初めて参加したのだが、なんともう一人祈祷会が初めての学生が。聖研に集う未信者のMさん。明確にクリスチャン向けの活動であるため勧誘などはしていなかったみたいだが、彼女は自分から来ようと思って来たそうだった。祈り自体もほぼ初めてのため「どう祈ったらいいんだろう…」と不安を覗かせていたが、全体的にはとても楽しそうでワクワク期待しているように見えた。
D大学祈祷会では、始めに祈祷課題を小さな紙に書き込み、それから2人ずつに分かれてそれを交換して祈る。しかしなんとこの日僕がペアになったのが、同じ初参加のMさん。僕で良いのか?と思いながら、Mさんと祈ることに。「品川庄司の庄司に似てますね。」とまたもや突然言われてしまったが、そんな風に特にお互い緊張することなく和やかに祈祷課題を分かち合うことができた。
クリスチャンの思っている以上に、「祈り」という行為は未信者の方にとって怪しいものではない。もちろん中には怪しく感じる人もいれば、疎外感を抱く人もいる。しかし、真剣に信じる神様に祈る姿や、真剣に祈ってくれる友の姿は、未信者の方にとって心地の悪いものではないことも多い。Mさんに関して言えば、以前から聖研に参加していたため「祈り」自体は慣れていたかもしれない。しかし、それでも自分から祈祷会に参加し、祈ってもらおうと思い、また祈ってみようと思ったのだ。きっとそこに何かがあると思って。
僕は祈りの意味をMさんと簡単に確認し、祈り方をアドバイスする。それから始めに僕がMさんのことを祈ったら、続いてMさんはゆっくりと僕の祈祷課題を祈ってくれた。僕はMさんの祈りの言葉をすべて残さず拾い集めるように聞いた。そして最後は、声を合わせて一緒に「アーメン」と言った。
どうだった?と終わって聞いてみると、手で顔をパタパタの仰ぎながら「熱い…!恥ずかしい…!(笑)」と照れていた。僕はこんな瞬間に立ち会えて嬉しい気持ちになった。祈り始めること、祈りに加わり始めること、それはとても素晴らしいことだと思った。彼女も嬉しそうだった。
*************
祈祷会後、3限の無いAと2人で学食へ。食べたのは大学名が付いたD大の名物ランチ「Dランチ」!なんと260円でかなりのボリューム!…僕はそれに揚げだし豆腐80円を追加。それでもたったの340円。予想以上に大満足のDランチだった。心も体も満たされて、僕はか軽い足取りでD大学を後にした。

(写真はDランチ+揚げ出し豆腐、Dランチを堪能するA)
僕は初めて参加したのだが、なんともう一人祈祷会が初めての学生が。聖研に集う未信者のMさん。明確にクリスチャン向けの活動であるため勧誘などはしていなかったみたいだが、彼女は自分から来ようと思って来たそうだった。祈り自体もほぼ初めてのため「どう祈ったらいいんだろう…」と不安を覗かせていたが、全体的にはとても楽しそうでワクワク期待しているように見えた。
D大学祈祷会では、始めに祈祷課題を小さな紙に書き込み、それから2人ずつに分かれてそれを交換して祈る。しかしなんとこの日僕がペアになったのが、同じ初参加のMさん。僕で良いのか?と思いながら、Mさんと祈ることに。「品川庄司の庄司に似てますね。」とまたもや突然言われてしまったが、そんな風に特にお互い緊張することなく和やかに祈祷課題を分かち合うことができた。
クリスチャンの思っている以上に、「祈り」という行為は未信者の方にとって怪しいものではない。もちろん中には怪しく感じる人もいれば、疎外感を抱く人もいる。しかし、真剣に信じる神様に祈る姿や、真剣に祈ってくれる友の姿は、未信者の方にとって心地の悪いものではないことも多い。Mさんに関して言えば、以前から聖研に参加していたため「祈り」自体は慣れていたかもしれない。しかし、それでも自分から祈祷会に参加し、祈ってもらおうと思い、また祈ってみようと思ったのだ。きっとそこに何かがあると思って。
僕は祈りの意味をMさんと簡単に確認し、祈り方をアドバイスする。それから始めに僕がMさんのことを祈ったら、続いてMさんはゆっくりと僕の祈祷課題を祈ってくれた。僕はMさんの祈りの言葉をすべて残さず拾い集めるように聞いた。そして最後は、声を合わせて一緒に「アーメン」と言った。
どうだった?と終わって聞いてみると、手で顔をパタパタの仰ぎながら「熱い…!恥ずかしい…!(笑)」と照れていた。僕はこんな瞬間に立ち会えて嬉しい気持ちになった。祈り始めること、祈りに加わり始めること、それはとても素晴らしいことだと思った。彼女も嬉しそうだった。
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祈祷会後、3限の無いAと2人で学食へ。食べたのは大学名が付いたD大の名物ランチ「Dランチ」!なんと260円でかなりのボリューム!…僕はそれに揚げだし豆腐80円を追加。それでもたったの340円。予想以上に大満足のDランチだった。心も体も満たされて、僕はか軽い足取りでD大学を後にした。

(写真はDランチ+揚げ出し豆腐、Dランチを堪能するA)
関東の生活スタイルにいよいよ慣れてきた。
関東に来たばかりの頃は、関東の人間の駅を歩く速さが本当に速いと思った。何でこの人たちはこんなに急いでいるのだろう…と。しかし、最近の僕は逆になった。人の歩く速さが遅すぎて、イライラすることがある。僕自身の歩くペースが速くなったのだ。
また、電車の中で集中して読書をするようになった。めまぐるしい車内の人の動きにキョロキョロしていた僕も、今はひたすら読書。結果、いちいち他人の動きに緊張しなくなったし、目にも入らなくなってきた。僕は容易に車内で自分だけの世界に没頭でいるようになったのだ。
さらに最近、「電車移動が疲れる」と思うことがなくなった。最初はよく思ったが、最近はそんなことは考えもしない。疲れたとしても、それはただ「疲れた」と形容され、「電車だから」とか「電車は」という但し書きがつかない。それくらい電車が当たり前の「足」になったのだ。
僕はそんな風に、ある部分で関東の生活スタイルに慣れてきている。確実に。
*************
以前、5月頃だったか。御茶ノ水から秋葉原に向かう半満員の電車の床をテクテクと歩くテントウムシを見た。電車が揺れて人の足の踏み場が変わるたびに、テントウムシは命の危険にさらされていた。誰も気付かないまま、紙一重のところで踏み潰されずに生きていたこのテントウムシから、僕は視線を外すことができなかった。
しかしこのテントウムシは、不幸なことにドアの近くにいた。だから、次の駅で大量の人の移動が起こる時には、このテントウムシは生きていられるわけがない。僕はそう思うと、切ない気持ちになった。次の駅でこのテントウムシは絶命してしまうのだから。
僕はそれからそのテントウムシを見ながら、僕なりにその都会に住む宿命を背負ったテントウムシの生涯を想像した。野原にではなく大都会に生まれたテントウムシ。そうこうしているうちに、いよいよ車両アナウンスが次の駅の到着を告げた。秋葉原〜秋葉原〜…
*************
僕は最近テントウムシを電車の車内で見ることはない。というかそれっきり。だから、ふと、再びテントウムシを電車の車内で見られないだろうか、と思う。それは、実はあの後生き延びた(少なくとも僕が見ている間は…)あのテントウムシにもう一度会いたいということでは決してない。珍しいからまた同じ風景に出会いたいというのでもない。
ただ僕は、あの時あんな風にテントウムシの生涯に思いを寄せたように、もっともっと小さなことにも目をとめて立ち止まり、そこから自分の人格が映し出す世界やストーリーをその手で捕えていきたいと願っている。この関東の忙しない生活の中だからこそ。いつもそんなことをやっていたら疲れてしまうけれど。
もしかしたら、車内にはもっとテントウムシがいるのかもしれない。気付かないだけで。それは実際的な意味でも。そして象徴的な意味でも。
関東に来たばかりの頃は、関東の人間の駅を歩く速さが本当に速いと思った。何でこの人たちはこんなに急いでいるのだろう…と。しかし、最近の僕は逆になった。人の歩く速さが遅すぎて、イライラすることがある。僕自身の歩くペースが速くなったのだ。
また、電車の中で集中して読書をするようになった。めまぐるしい車内の人の動きにキョロキョロしていた僕も、今はひたすら読書。結果、いちいち他人の動きに緊張しなくなったし、目にも入らなくなってきた。僕は容易に車内で自分だけの世界に没頭でいるようになったのだ。
さらに最近、「電車移動が疲れる」と思うことがなくなった。最初はよく思ったが、最近はそんなことは考えもしない。疲れたとしても、それはただ「疲れた」と形容され、「電車だから」とか「電車は」という但し書きがつかない。それくらい電車が当たり前の「足」になったのだ。
僕はそんな風に、ある部分で関東の生活スタイルに慣れてきている。確実に。
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以前、5月頃だったか。御茶ノ水から秋葉原に向かう半満員の電車の床をテクテクと歩くテントウムシを見た。電車が揺れて人の足の踏み場が変わるたびに、テントウムシは命の危険にさらされていた。誰も気付かないまま、紙一重のところで踏み潰されずに生きていたこのテントウムシから、僕は視線を外すことができなかった。
しかしこのテントウムシは、不幸なことにドアの近くにいた。だから、次の駅で大量の人の移動が起こる時には、このテントウムシは生きていられるわけがない。僕はそう思うと、切ない気持ちになった。次の駅でこのテントウムシは絶命してしまうのだから。
僕はそれからそのテントウムシを見ながら、僕なりにその都会に住む宿命を背負ったテントウムシの生涯を想像した。野原にではなく大都会に生まれたテントウムシ。そうこうしているうちに、いよいよ車両アナウンスが次の駅の到着を告げた。秋葉原〜秋葉原〜…
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僕は最近テントウムシを電車の車内で見ることはない。というかそれっきり。だから、ふと、再びテントウムシを電車の車内で見られないだろうか、と思う。それは、実はあの後生き延びた(少なくとも僕が見ている間は…)あのテントウムシにもう一度会いたいということでは決してない。珍しいからまた同じ風景に出会いたいというのでもない。
ただ僕は、あの時あんな風にテントウムシの生涯に思いを寄せたように、もっともっと小さなことにも目をとめて立ち止まり、そこから自分の人格が映し出す世界やストーリーをその手で捕えていきたいと願っている。この関東の忙しない生活の中だからこそ。いつもそんなことをやっていたら疲れてしまうけれど。
もしかしたら、車内にはもっとテントウムシがいるのかもしれない。気付かないだけで。それは実際的な意味でも。そして象徴的な意味でも。

僕のお気に入りのコンバースのスニーカー。前後に色分けされた独特のモノトーンスタイルがチャームポイントになっていて、表面はエナメル質。4年前に金沢で一目ぼれして中古で購入したのだが、結構珍しい型らしく、以前ショップ店員に「それどこで買ったんですか?珍しいですね…」と訪ねられたほど。僕も自分以外にこのタイプのスニーカーを見たことがない。そして僕は履けば履くほどこの靴が好きになり、今に至るまで4年もの間、僕の靴の中で不動の1軍に君臨し続けた。
しかし、愛しぬいたこの靴にも、先日遂に穴が開き始めた。もちろんまだ履けるが、もう世代交代が近づいていることは明らかだった。消耗品である靴の宿命でもあるが、お気に入りだけに悲しかった。でも思えば中古のわりに4年間も履けたのだから、その働きはもう十分すぎるほどだった。
だから最近は、少しでも長くこの靴を履き続けようと、今まで2軍にいたスニーカーの使用率を上げていたところだった。そして同時に、僕は新しいスニーカーを買おうと思っていた。2軍にいる靴も悪くは無いが、僕としてはこの一時代を築いたお気に入りのスニーカーに負けず劣らないスニーカーと出会いたかったからだ。
そしてこの日、僕は靴を求めて自転車で出かけた。もちろんこのお気に入りのスニーカーを履いて。
途中、久しぶりに近所のユーズドショップに立ち寄った。このユーズドショップはあまりパッとしないため、普段はほとんど立ち寄らない。でも、この日はついでに服も探そうと思って立ち寄ってみた。衣料品コーナーが以前の2倍のスペースになっていたので期待もしたが、何も見つからなかった。古着屋ってどうしてあんなに同じような服ばかりヨレヨレと並んでいるんだろう…
しかし…帰り際僕の目に衝撃的なものが飛び込んできた。それはなんと、僕の履いているスニーカーとまったく同じスニーカーだった!!…うそ!!!…恐る恐る手にとると、なんとサイズまで一緒である。そして圧倒的に綺麗、値段も安い。しばらく僕はその場所で立ち尽くしたほどだった。
購入しましたよ。もちろん。同じスニーカーを履きながら、同じスニーカーをレジに持っていき、きっと店員には「こいつ今履いているのと同じの買ってる…」なんて思われながら(想像だけど…)。
あと4年いける。
寒い。朝と夜が寒い。だけだと思っていたら、日中も寒い。
先日ある学生がもうコタツを出したと聞いて、それは早すぎると言い送ったばかりだった。しかし、最近本当に寒い。僕としてはもっと11月末くらいまでは我慢できると思ったけれど、もう無理だと思った。そしてついに、押入れからコタツ布団を引っ張り出した。
僕はコタツを出すと田舎の家族を思い出す。
小さい頃よく母親に「今年はまだコタツ出さんがん?」と聞いたものだった。母親はよく「まだ早い」と言った。しかし、ある日学校から帰った時に、ついに居間のテーブルがコタツに変わっているのを見た時の喜びは、毎年格別なものだった。部屋の雰囲気もコタツが加わるだけで随分変わるから不思議。それだけで部屋全体の温かさまで増し加わるようだった。そしてその頃から、不思議と窓の外がより一層寒く見えるようになる。
また、コタツは家族の集まる場所だけにいろんな思い出がある。僕はブログで言うのは初めてだが、実は5人兄弟の4番目。しかも上から下まであまり年齢が離れていないため、かなり騒がしい家庭だった(ようだ…)。だからそんな家庭内でのコタツの場所取り争いや、コタツの中での足のポジショニング争い、そしてコタツ内に充満した異臭の犯人探しなどは、日常的な思い出として今も鮮明に思い出される。
僕にとってコタツは、そういった種類の家具である。
一人暮らしを始めて5年目になるが、一人のコタツは未だどこか哀しげに写る。気が楽で心地よく、何の争いも攻防もなくとてもリラックスでき、機能的にも申し分なく温かい。でもここにはある種類の温かみが欠けているように感じる。それはコーラとダイエットコーラくらい全然違うことのように思える。
コタツの頃、母親はよく干し柿を窓辺に吊るして作っていた。窓の外の木枯らしに揺れる干し柿。僕は干し柿が大嫌いだったが、また見たいと思う時がある。コタツを出した今日みたいな日には。だから僕は静かに、同じコタツから見たあの懐かしい風景を探し始める。
先日ある学生がもうコタツを出したと聞いて、それは早すぎると言い送ったばかりだった。しかし、最近本当に寒い。僕としてはもっと11月末くらいまでは我慢できると思ったけれど、もう無理だと思った。そしてついに、押入れからコタツ布団を引っ張り出した。
僕はコタツを出すと田舎の家族を思い出す。
小さい頃よく母親に「今年はまだコタツ出さんがん?」と聞いたものだった。母親はよく「まだ早い」と言った。しかし、ある日学校から帰った時に、ついに居間のテーブルがコタツに変わっているのを見た時の喜びは、毎年格別なものだった。部屋の雰囲気もコタツが加わるだけで随分変わるから不思議。それだけで部屋全体の温かさまで増し加わるようだった。そしてその頃から、不思議と窓の外がより一層寒く見えるようになる。
また、コタツは家族の集まる場所だけにいろんな思い出がある。僕はブログで言うのは初めてだが、実は5人兄弟の4番目。しかも上から下まであまり年齢が離れていないため、かなり騒がしい家庭だった(ようだ…)。だからそんな家庭内でのコタツの場所取り争いや、コタツの中での足のポジショニング争い、そしてコタツ内に充満した異臭の犯人探しなどは、日常的な思い出として今も鮮明に思い出される。
僕にとってコタツは、そういった種類の家具である。
一人暮らしを始めて5年目になるが、一人のコタツは未だどこか哀しげに写る。気が楽で心地よく、何の争いも攻防もなくとてもリラックスでき、機能的にも申し分なく温かい。でもここにはある種類の温かみが欠けているように感じる。それはコーラとダイエットコーラくらい全然違うことのように思える。
コタツの頃、母親はよく干し柿を窓辺に吊るして作っていた。窓の外の木枯らしに揺れる干し柿。僕は干し柿が大嫌いだったが、また見たいと思う時がある。コタツを出した今日みたいな日には。だから僕は静かに、同じコタツから見たあの懐かしい風景を探し始める。



